学び

2018.04.17

音楽の中で

こんにちは。

今日と明日は雨の予報が出ていて、登下校のお子さんにはちょっと冷たく感じる雨になりそうですね。

新入学の小学校1年生には、ランドセルをしょった上で、傘を差して歩くのもまだ慣れていませんから、今日の降り始めができるだけ遅くなるといいな、と天気予報を見ながら思いました。

 

ピアノには、例えば、音階だったり分散和音だったりというように、ある意味機械的にも思えるテクニックがあります。

それを確実に弾けるようにするにはどうしたら良いだろう?

ここのところ、そんなことを考えていました。

 

かつては、ハノンやチェルニーを弾いていれば、身につく、と思っていました。

でも、音楽の中で出てくる例えば音階なら音階を「音楽的に弾く」ということを考えると、ちょっと違ってくるようです。

今の師匠は「テクニックの基礎はモーツァルトを勉強する中で身につく!」ということでモーツァルトを中心にレッスンしていらっしゃいます。

かつての大学時代の恩師も「ハノンの中にある音階?あれやっても時間の無駄。音楽的に弾かなくては意味がないから。」

こちらも一刀両断。

 

ロシアの教本はどうなっているのだろう?と思い、日本のamazonでも取り扱っているドイツ語版の教本を取り寄せてみました。

(日本語版もかつては出版されていたのですが、今は絶版になっています。)

最初は、ロシアの子どもの歌などから始まり、早い時期からバルトーク・カバレフスキー・チャイコフスキー・ショスタコービッチなどの曲が入ってきます。

モーツァルト、シューマンの曲も取り上げられていますし、その中に混じって「チェルニー作曲の練習曲」も入っています。

 

やはり、基本的には「曲の中で技術を向上させていく」という発想で編集されていることが分かりました。

確かに、音階も分散和音も、実際には音楽の中で使われています。

それだけを取り出していくのではなく、曲の中で身につけていくこと。

それが結果的には、「音楽的に弾く」ための技術の向上につながっていくのだということを確信しました。

 

2018.04.15

一つの区切り

こんにちは。

昨日は、私の所属する葵の会の定期演奏会でした。

ご来場くださった方々、本当にありがとうございました。

聴いてくださる方がいらっしゃるということは、とても励みになりました。

約1年取り組んできたモーツァルト「デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲」でしたが、ひと区切りです。

 

以前、演奏家として活躍していらっしゃる方のお話を伺ったことがありました。

その方の先生はイタリア人の指揮者だったそうですが、修行時代、本番の後はうまくいっても失敗しても、演奏についてのコメントはなかったそうです。

そして、次の課題はこれ、という形で提示され、またそれに取り組んでいったのだとか。

本番は一つの区切りではあるかもしれませんが、目標はそこではない、ということなのでしょう。

 

今回の発表を終えて、私も同じように考えています。

直前のレッスンで椅子の位置変更、これもこの定期演奏会のことだけを考えていたら、変更しないほうが良かったかもしれません。

でも、そうではなくて総合的に演奏力の向上ということを考えた時には、必要だったこと。

本番に向かって、そして本番の演奏を通して考えたこと、見えてきたことがたくさんあります。

一つの区切りがついたので、今回、いろいろ考えたことを課題としてクリアできるように勉強していくだけ。

 

淡々とそれを繰り返していくことが、また一つ階段を上ることになる、と信じています。

終わりのないものですから。

2018.04.14

シンプルな美しさを感じる

こんにちは。

庭に出たら、すずらんが咲き始めていました。

5月1日はフランスでは、すずらんの日なのだと、以前、同僚に教えてもらっていました。

それから意識するようになって、だいたい5月1日には私の家のすずらんをプレゼントしていたのですが、

今年は本当に春が早いですね。

 

さて、今日はいよいよ本番。

お声をかけた方々から、「楽しみにしています。」とおっしゃっていただけて、本当に幸せだなと思い、感謝の気持ちでいっぱいです。

リハーサルからのこの1週間、今まで加えてきたものをそぎ落とす感じで音楽を作ってきました。

リハーサルの時の録音を聞いて「何か違う」と思ったのですね。

私の頭の中でイメージするモーツァルトと、実際に私が演奏しているモーツァルトとの違い。

シンプルな美しさをもっと表現したい。

それに気がついたので、とにかくよけいなものを削っていこう、と決めました。

 

曲を決めてから、約1年。

その期間でたくさんのものを付け加えてきたからこそ、削れるのだと思います。

結局、こういう作業は、終わりのないもの。

今日は、今日の時点での自分のベストを尽くした演奏を聴いていただく。

そしてまた、次の課題をみつけて取り組んでいく。

 

結局この繰り返しなのですよね。

でも、集中して取り組んだからこそ見えてきたものがたくさんあります。

それが次のステップへの原動力になります。

100回の練習より、1回の本番、と言われるのもこういうところに理由があるのだとしみじみ実感した1週間でした。

 

2018.04.10

視点を変えて見てみる

こんにちは。

ホームページの体験レッスンページが分かりにくかったので、少し変えてみました。

レッスン内容のページも写真を多くしてみました。

スマホで見るのと、パソコンで見るのとでは全然違いますね。

最初の写真も、下の写真も同じ桜の木なのですが、印象が全く違います。

 

今回、見直してみて、ちょうど同じような感じを持ちました。

改めて自分の作ったものを別の視点から見てみると、いろいろ改善点が見えてきます。

また、少しずつ改善していこうと考えています。

 

ピアノの演奏も同じで、いつも同じように聞いているとついつい見逃してしまう点も多いです。

先日のレッスンでご指導いただいた、椅子の位置。

 

ディーナ・ヨッフェ先生の動画がたくさんあったので、それを参考にしていこうと思いつきました。

自分の動画を撮って、ひじと肩の位置を見ます。

ヨッフェ先生の動画と見比べてみました。

 

やはり、ひじの曲げ方・角度がずいぶん違うので、それを参考に調整を始めました。

ヨッフェ先生の動画を見てみると、背中から肩をとても柔軟に使って弾いていることがわかります。

これも、先日からご指導を受けている内容と重なってきます。

 

改めて、自分の動画との違いを観察することで、たくさん見えてくるものがありました。

 

自分の動画など、ほとんど撮ったことがなかったので、見るとすごく恥ずかしいのですが、

自分の今の状況が客観的にわかります。

今まで録音中心だったのですが、これから動画も考えていこうと思いました。

便利な機械がたくさん出ている時代なのですから、生かさなくてはもったいないですね。

 

視点を変えてみると今まで見えなかったものがいろいろ見えてくるようになります。

柔軟に試行錯誤していきたい、と改めて思いました。

2018.04.03

椅子の位置を後ろに下げる

こんにちは。

昨日は、御茶ノ水にレッスンに行ってきました。

もう、桜もソメイヨシノはほとんど散ってしまいました。

神田明神裏公園内に移築してある古民家のしだれ桜がきれいだったので、写真に撮りました。

葵の会の定期演奏会前、最後のレッスンになります。

 

自宅の練習では、暗譜と細かい部分の修正を重点的にしていました。

ところが、昨日のレッスンで、まさかの「軸がぶれるから椅子の位置を後ろに下げてみて下さい。」とのご指摘をいただきました。

椅子…ですか?それは大ごとです!

後ろに下げてみました。

「この辺りでしょうか?」

「もっと後ろですね。」

椅子が前すぎたので、肩から背中の筋肉が動きにくい状態になっていたとのことでした。

確かに、意識としては肩と背中を使おうとしていたのですが、今一つ力をのせきれていなかった実感もありました。

「これで、いままでよりも足で支える感じになるはずです。肩と背中ももっと使えると思います。」

 

慣れていないので、とても弾きにくく感じました。

ペダルが遠くなり、不安もあります。

ただ、弾いてみてから先生に伺うと、「これなら軸はぶれていません」とのこと。

定規はないので、目安にするために手で測ってみました。

今までよりも、10㎝くらい後ろに下がった位置です。

 

この位置に椅子を置いて、何十年もピアノを弾いてきました。

習慣を大きく変えることになります。

背中・肩・ひじ・手首などすべてのポジションを修正していく必要があります。

椅子を後ろに下げた後、「今までよりも腕の下の支えを意識する必要があります。」「てのひらの位置をもっと上に上げる意識で。」とご指導を受けました。

 

いきなりの大改革なので、びっくりです。

ただ、何かを変えるには、リスクがつきもの。

2週間でどこまで慣れることができるのか?

とにかく響きをとらえる自分の耳を信じて、少しでも慣れた状態で本番が迎えられるように、練習していこうと思います。

2018.04.02

歌曲の伴奏から学んだこと

こんにちは。

 

ここのところで、伴奏を弾く機会がありました。

今は私がアルバイトをしている先の自家焙煎コーヒー店の店長ですが、かつては東京芸大で声楽を学んでいた先輩の録画のためです。

曲は、トスティの「4月」(Aprile)。

 

彼は芸大で声楽を学ぶとともに、イタリア人指揮者の元でオペラの勉強もしていました。

ですから、言葉・アクセントと音楽の関係についてとても詳しく勉強しています。

今回も、まず歌詞を朗読してそのアクセントを確認するところから始めました。

最初のうちは、私のイタリア語の母音の発音が正確でないことを気にしていたのですが、そこまでやっているといつまでたっても先に進みません。

そこは朗読を録音してアクセントと流れを把握することで妥協してもらうことにしました。

 

そこを分かって歌を歌ってみると、すごい!

アクセントのある音節は強拍だったり長い音符が当てられていたりして、自然に歌えるようになっています。

(あの長いオペラでも基本的にはそうなっているそうです)

 

これは、日本語の歌詞でも、基本的にほぼ同じです。

そうでないと、意味が伝わらなくなってしまうので、作曲家は基本的に日本語のアクセント(日本語の場合は高低アクセントですが)を意識して作曲しています。

かつて私の大学時代の声楽の恩師は「山田耕筰先生の直系の弟子」と言っていましたが、やはり歌詞を理解した上での息継ぎの位置などを細かく指導してくれました。

 

伴奏を弾く時には、歌詞を「詩の状態」でしっかり読む。

次にメロディーを弾いてみる、歌ってみる。

それを意識して、歌と伴奏と合わせてどう聞こえるか、全体像を頭に描いていく。

 

たくさん学ぶところがあり、良い経験になりました。

録画は、一度やってみましたが、もしかしたら撮り直すかもしれません。

完成したらこちらでもご紹介したいと思っています。

2018.03.31

筋トレをピアノに生かす

こんにちは。

モーツァルト、弾けば弾くほど課題が見えてきます。

これはもう、きりがないということを実感。

でも、本番までの期間でどこまで課題が見えてきて、どこまでクリアできるのか、それは楽しみでもあります。

 

ここのところ、筋トレで新しいメニューが加わっています。

腕立て伏せなのですが、普通の腕立て伏せと違って、手をつく時肩幅につきます。

腕を曲げるときも、肘を外にはるのではなく、身体に平行になるように曲げます。き

これは上腕三頭筋を鍛えるのだそうです。

まだ全然うまくできず、一番負荷のかからないひざを直角に曲げた状態でも5回がやっとです。

ただ、やってみて、この身体の使い方、ピアノに生かせる!と思いました。

 

今の奏法は、肘をそとにはることはありません。

肩から腕の重みを使っていきます。

お腹で支えるところも同じです。

これは一つまた発見しました。

 

もちろん筋トレと大きく違うのは、当然のことながら腕を曲げて終わりではないことです。

その肩や腕の重みをいかに支える、いかに指を通して鍵盤に伝えていくか、ということです。

その連続性という部分では、まだまだ研究の余地がたくさんあります。

ただ、ずっと考えていると、いろいろなことが「響きのある音を出す」という1点につながってくる感覚があります。

 

今より少しでも響きのある音を出したい。

少しでも自分の演奏の課題を見いだし、解決していきたい、そんな本番2週間前です。

2018.03.26

ともに学び合うことの楽しさ

こんにちは。

やはり、御茶ノ水の桜は八分咲きでした。

写真は東京医科歯科大学の木。

私と同じように立ち止まってスマホで写真を撮っている人もいましたし、本格的なカメラを構えている人もいました。

 

昨日のオフ会(勉強会)、6人が参加しました。

モーツァルトを弾いた人が4人。

私も、デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲を弾きました。

やはり、まだ暗譜にちょっと不安があるので、そこが課題ですし、細かい部分の詰めをこれからやっていくことになります。

他の人の演奏を聴くことで学ぶことがたくさんありました。

 

それぞれのモーツァルト、やはり少しずつ、イメージが違っているのが表れていて、聴いていて楽しかったですね。

とても繊細なモーツァルト、様式感がしっかりしているモーツァルト、柔らかな流れるようなモーツァルト。

曲によっても違ってきますし、また演奏する人のとらえ方によってもさまざまに変わってきます。

 

一人当たり20分の持ち時間なので、その他、ベートーヴェン、シューマン、ラフマニノフ、スクリャービンといろいろ聴くことができました。

ベートーヴェンを聴くと、音の厚みがモーツァルトとは全く違います。

昨日聴いたのは3番で、初期の作品ですから、時代的にはモーツァルトの後半とほとんど同じはずですが、やはり世界が違っていて、とても興味深く思いました。

シューマンの和音の変化も本当に美しい。

ラフマニノフ、スクリャービンと時代が新しくなって、また、音楽そのものも大きく変わっていく、ということを実感しました。

 

合間の休憩に、9月の発表会に向けてどうする?などの話も。

「聴いているといいなあ、と思うけど、弾いてみると自分ではなかなか表現できなくてつらい時、あるよね」

「レッスンで分かった!と思って家に帰って弾いてみると分かっていなかったりする。」

等々、共通する悩みは尽きません。

とても、楽しく、学ぶところの多い3時間でした。

2018.03.20

筋トレとピアノ

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こんにちは。

昨日は自分のレッスンを受けに御茶ノ水まで出かけました

途中の東京医科歯科大学の桜が、もうほころんでいて、びっくりしました。

都内のほうがやはり埼玉より暖かいようです。

 

ここのところ、先生の「発見」が続いています。

門外不出とのことですので、ここには書けませんが(笑)。

「発見」というのは、今まで先生が無意識でやっていた身体の使い方が意識化できて言葉になった、ということです。

その状態になってはじめて他の人に伝えることができるわけです。

昨日は、最近の「発見」である筋肉の使い方についての感覚を教えていただきました。

 

私は1月から筋トレをしています。

筋トレをして、わかったことは、今までいかに日常で筋肉の使い方を意識していなかったか、ということです。

無意識で動かしていた筋肉について、筋トレを通して意識できる部分が以前よりも増えてきました。

これは、ピアノを弾く上でもとても役に立ちます。

指から始まり、てのひら、腕、肩、背中まで。

残念ながら、目に見える形での「ここに筋肉がついてきた」という成果はまだなのですが、思わぬ大きな副産物でした。

 

筋トレと合わせて、筋肉のつき方についての本をいくつか読みました。

ちょっと前のブログにもご紹介しましたが、ピアノを弾く上で、それも役立っています。

あ、この筋肉とこの筋肉はつながっているんだな、というイメージが持てるようになってきました。

人間の身体がいかに多くのつながりで動くようになっていることか!

本当にすごい仕組みに驚きです。

 

ということで、うれしいことに昨日のレッスンでまた少し音が変わってきました。

4月の本番に向けて、さらに音を磨いていこうと思います。

2018.03.06

響きの微調整をする

こんにちは。

写真は、昨日行った神田明神にある「銭形平次の碑」。梅と本殿を入れたかったので、碑は斜めになってしまいました。

いつもは、鳥居の真正面にある本殿しか目に入らなかったのですが、昨日はたまたま本殿横手奥にあるお守りを納める場所に行ったので、「こんな碑がある」と気付いたのでした。

確かに、銭形平次は「神田明神下」に住んでいる設定でしたね。

母が時代劇が好きだったので、銭形平次も子どもの頃は見るともなしに見ていました。

まさか、こんなに頻繁に神田明神近くに来ることになるとは予想もしませんでしたが。

 

昨日のレッスンでは、微妙な手・指の力の入れ加減、意識の仕方を修正してきました。

先生のレッスン室のピアノで弾くと、私の音が少しとがった感じに聞こえました。

前回は、かなり良い感じに音が響いていたのですが、ちょっと違ってしまいました。

よく響くときは上まで上がる感じ。あるいは、空間を満たす感じになるのです。

ある程度の響きは、安定して出せますが、前回が良かっただけに、あ、という感じです。

 

先生が「ここはこういう音だと思う」とおっしゃって、八分音符を弾くと、まるみのある、つやのある、響きをまとった音が同じピアノから出てきます。

基準になるピアノ、基準になる音を出してくれる先生がいる。

そのありがたさを感じつつ、先生の音を基準に、前回と何が違っているのだろう?と探っていきました。

肩・肘・前腕の屈筋・手首・手の内側・指。

かかるべき重みがきちんと伝わっているか、どこかによけいな力が入っていないか。

同時に鍵盤の狙う位置を微妙に変えていきます。

深すぎる可能性が高いので、少しずつ浅めにする意識を持って1音だけ弾いていきます。

 

ずっと続けていると、先生が全く関係のない話を始めました。

しばらくそのお話を伺ってから、また戻ると、さっきの先生の響きに近づいた感じがします。

「あ、ここに力が入っていた」

原因が分かりました。

以前にもそういうことがあって、「違う話をして意識をそらしてから戻ると、ふっと良い音が出ることがある。」とおっしゃっていましたから、先生にはどこかに変な力みがあるということがわかったのだと思います。

ちょっとした力の入れ具合で、響きは変わっていきます。

それが難しいところでもあり、また楽しい所でもあります。