学び

2018.06.13

練習の「仕方」を考える

こんにちは。

一昨日は久しぶりに何も予定のない1日だったので、ピアノがたくさん弾けました。

やっぱりピアノを弾くのは楽しいですね。

とはいえ、今、フォーレのノクターン2番の譜読み中。

私の師匠が言う「手になじむ」状態になるには、まだまだ先が長そうです。

 

手の使い方を考えつつ、指遣いの確認。

ようやく最後のページまでそれを終え、さて実際に弾き始めると…。

修正すべき点が見えてきました。

ここは左手で取るより、右手を使った方がいい。

ここは左手の動きを考えると、右手の指遣いを変えたほうがいい。

黒鍵は4が良いと原則しか考えていなかったけれど、実際弾いてみると内声があるので届かなかった。

いろいろなことを想定して、次はもっと慎重に指遣いを考えたほうが良いと気付きました。

これもやってみたからこそ分かったこと。

 

前回のレッスンでみていただいてある前半も、まだ「手になじんで」はいないので練習。

音の数はそう多くはないのに、どうしてこうたくさんミスタッチをするのだろう?

以前、とても上手に弾く方から伺った「片手が難しいところこそ、逆の手の練習をしっかりする」ということを思い出しました。

細かく動く右手ばかりに意識がいっていたので、左手の練習を改めてすることにしました。

その後、両手を合わせるとかなり弾きやすくなりました。

 

練習をするときに、練習の「仕方を工夫していく」「自分の状態を自覚していく」こと。

ついつい、「この部分を弾きたい」だけになってしまいますが、次につなげるためには大切なことです。

そこに改めて気付かされた時間となりました。

2018.06.07

指遣いをよく考える

こんにちは。

ここのところフォーレのノクターン2番の譜読みをしています。

その中で、ピアノの譜読みの上で、大切だと改めて思ったのが指遣いです。

 

もちろん、今までも考えていました。

でも、今まではまだ甘さがあった、ということに気がつきました。

きっかけは4月。

モーツァルトを弾いた時、最終段階までとても弾きにいと感じる部分がいくつか残ってしまいました。

そこをゆっくり練習していたのですが、その原因として指遣いが悪い、と思ったのです。

本番直前なので、弾きにくさを承知で指遣いはそのままにすることにしました。

 

それ以降、最初の段階の指遣いを今までよりももっと慎重に決めることにしました。

次のヘンデルのシャコンヌから実行。

バロックですが、特別な指遣いが必要な部分は多くはありません。

でも、試しに全部の音符に指遣いを書き込んでみました。

 

その結果、今までよりも一つ一つの音に気を配れるようになりました。

この奏法の場合には、手の使い方、特に重心の位置が指遣いによって大きく変わってきます。

また、私の場合、手が小さいので楽譜に書き込まれた指遣いでは間に合わないこともたくさんあります。

どうすれば弾きやすく、無駄なく手を使えるか?

最初の段階で、まとめてそこを考える時間をとったので、次の段階がとてもスムーズになりました。

 

フォーレはヘンデルよりも音がずっと複雑です。

やはり今、指遣いを全部の音に書き込んでいます。

時間があるときに、楽譜だけ見て書き込み、その後ピアノに向かって実際に弾きながら修正しています。

片手ずつ弾いているときと、両手で弾くときとでは、弾きやすい指遣いが違うこともあり、いろいろ試しながら決めていきます。

 

指遣い、単純な音型だったり、決まった形だったりすると、ついつい「何となく」弾きがちですが、一つ一つそこを確認することで、また今までとは違う感覚で曲に取り組めるようになりました。

2018.05.22

手の親指側への意識

こんにちは。

昨日は、御茶ノ水にレッスンに行ってきました。

ヘンデルのシャコンヌ。

バロック時代の音楽の様式感は、私にとって魅力的なもの。

少しでもそれを表現したいと思いつつ、弾いています。

 

前回のレッスンで、鍵盤を「押している」とのご指導を受け、この2週間は手のポジションを上げることを意識して練習しました。

昨日は「ちょっと『浮いた音』になっている」とのこと。

う~ん、加減が難しい。

ただ、モーツァルトよりは、深い音のイメージは確かなので、そこの部分、研究の余地がまだまだあります。

ねらうべき深さはどこなのか?

同時に深い位置を狙えば狙うほど、その後の指から手にかけての力の抜き方が大切になってきます。

どういうイメージで力を入れ、そして抜いていけば、より美しい、ヘンデルのシャコンヌに合った響きを出すことができるのか。

 

前にも教えていただいていた親指への意識についても、また改めてうかがうことができました。

この奏法では回転させるイメージで手を使っていきます。

「ドアノブをまわすように」という左右の回転。

それからピアノの手前から奥に向かっての回転。

その回転のときに、親指をどのように意識して使えばよいのか。

ここのところ、「手の下側・ひじから脇の下」の部分に意識が向きがちでしたが、親指側も重要です。

また課題をいただいて、帰ってきました。

2週間、またいろいろ工夫し、研究していきましょう。

 

帰り際、時間が早かったので、湯島の聖堂を見てきました。

広い道路をはさんで、通り道の反対側なので、今まで中に入ったことはなかったのです。

しんとして、とても静かな良い空間でした。

江戸時代、ここで学問に励んだ若者がたくさんいたのだなと思い、を追求していくことの価値を改めて感じました。

 

2018.05.14

ピアノは生きている

こんにちは。

今日は、調律師さんに伺ったお話を少し紹介していきますね。

 

以前、某有名音楽大学のピアノ科で使うピアノの調律を請け負う会社にお勤めだったときのこと。

その音大ピアノ科の卒業生は、プロのコンサートピアニストになる方も多く、また、いわゆる「有名な」ピアニストもたくさんいらっしゃいます。

卒業試験はホールで行われ、その時には調律師の方もその場に立ち会うのだそうです。

ですから、卒業試験を受ける人の演奏はすべて聞くとのこと。

そんな音大ピアノ科ですから、当然、演奏は相当なハイレベル。

ちょっと私には想像もつきません。

朝からずっと試験だそうですが、途中で15分間の休憩時間があり、調律師はその15分間でピアノを調整しなくてはなりません。

 

私が驚いたのは、「ピアノって3分くらいたつと、その時に弾いている人のタッチに合わせて変わるんですよね。」との言葉。

あるとき、その卒業試験の演奏を聞いていると、下までがんがんたたきこむような弾き方をする方がいて、「この弾き方では、後のピアノの調整が大変だなあ。15分で間に合うかなあ。」と思ったのだそうです。

ところが、その後に上手に音を鳴らす人がいて、それに合わせてピアノが変わってくれて、意外に休憩時間の調整がスムーズだった、とおっしゃっていました。

 

なるほど、やはりピアノは生きているんだな、と思ったお話でした。

レッスンの後に何だかタッチが変わっている、と思うこともあるのですが、そういうことなのですね。

調律師さんが「生徒さんの後に先生が弾くことで、元に戻りますから。生徒さんを凌駕するくらい弾いてください。」と笑いながらおっしゃっていました。

 

生きているピアノ。

その力を最大限引き出すのが弾き手。

そんな意識を持って、私自身が弾くとともに、レッスンでもそれを指導していきたいと思っています。

2018.05.08

地道に取り組むことの大切さ

こんにちは。

昨日は、御茶ノ水にレッスンに行ってきました。

上の写真は神田明神の神馬(しんめ)です。

神田明神には生きた神馬がいるのですね。

なまえは「あかり」ちゃんだそうです。

いつもは小屋の奥にいて会えないのですが、昨日は出ていたので思わず写真を撮ってしまいました。

 

さて、前回のレッスン以降、新しい曲に取り組み始めました。

最初のうちは、「安定して弾くために全部の力・重みをのせてゆっくり練習する」ということをくりかえしていきます。

その部分に重点を置いたために起こっていた状態を修正していただきました。

 

「安定して弾くために全部の力をのせて弾く」ことと、「響く音を出すために出来るだけ持ち上げて弾く」こと。

一見相反するように思えるこの2つの弾き方を、常に行き来しながら「安定し、かつ響く」状態を作り上げていく。

ゆっくり全部の力をのせて弾く練習は、初期の段階でしていけばよい、というイメージを持っていたのですが、実際は常にこの2つの状態を常に行き来する必要があるようです。

確かに、力を抜いて素早く打鍵するという感覚そのものにずれが生じていましたので、早い段階で修正していただけて良かったと思いました。

はるかに先を行く先生の感覚で、自分の現在の弾き方を常にチェックしていただける。

レッスンのすばらしさ、学ぶことのできる環境のありがたさを感じました。

 

今回はヘンデルのシャコンヌに決めましたが、ベルクもいつかは挑戦してみたいので、譜読みについて伺ってきました。

「ソナタ形式なので、構成の部分ではそれほど難しくないはずだけど。和声がちょっと大変かもしれないね。」とおっしゃいます。

「こういう、どこに動くのか予測がつかないような曲の場合はどうするのですか?」と伺うと

「手になじむまで弾きこむしかないと思う。」というお返事。

 

近道はないこと。

地道に取り組んでいくこと。

その蓄積が演奏を変えていくこと。

分かっていること、当たり前のことではあるけれども、改めてそれを意識しつつ帰途につきました。

2018.05.06

シャコンヌの様々な演奏

こんにちは。

ゴールデンウィークも最終日。

上り車線の渋滞情報が聞かれるようになってきて、休暇の終わりを感じます。

おおむねお天気にも恵まれて、良い休日でしたね。

 

ヘンデルのシャコンヌ、いろいろな演奏があって、興味深く聞いています。

やはり、ドイツのピアニズムのピアニストは、アーティキュレーションもさまざまに工夫して、タッチと構成感で聞かせる感じ。

一方、ロシアピアニズムのピアニストは、全体にペダルも多めで、細かいニュアンスで聞かせる感じ。

ざっとこんな印象を持ちました。

古今東西、これほどたくさんの演奏が聴けるというのは本当にありがたいことだと感じています。

私が今師事している先生が、ロシアピアニズムに傾倒するきっかけになったピアニスト、ニコラーエワ先生の演奏もありました。

端正な美しさ。

気品を感じます。

本当に素晴らしい演奏だと思います。

 

バロック時代のもので、もともとがピアノのために書かれたものではないので、その点もどう演奏していくのか、逆に自由度が高いと思いました。

今は、どれくらいのテンポ感が良いのか、自分なりにいろいろ探っています。

同時にバッハの時と同じように、縦のつながりと横のつながりを考えています。

横のラインを、それぞれの旋律線が出るように、音色を変えて弾くこと。

これもロシアピアニズムならではの課題であり、工夫のしどころです。

指遣いも、私の手に合わせると、どう弾いていけば弾きやすいのか。

こういう過程もとても楽しいですね。

 

2018.05.01

考えてから弾く

こんにちは。

連休の谷間で、今日明日はは小中学生も登校ですね。

ヘンデルのシャコンヌ、色々な方の演奏を聞き比べています。

今は、YouTubeで何でも聞くことができるので、本当にありがたいと思います。

(息子には「今は……」という言い方はやめたほうが良い、と言われているのですが、つい出てしまいますね)

「昭和」に学生だった私からすると、図書館でレコードを借りていた高校時代、資料室のレコードを聴いていた大学時代とは文字通り隔世の感があります。

 

変奏曲が21もあるので、テンポの設定はとても大切だということは、漠然と感じていました。

大きく3つの部分に分けられるので、その中でどうしていくか。

そしてその3つをどう組み立てていくのか。

考えることがたくさんあります。

 

同時に、変化をつけるためのアーティキュレーションも課題ですね。

レガートで弾くのかノンレガートで弾くのか。

ペダリングはどうするのか。

 

今まで、つい「弾きながら考える」という感じが多かったのですが、今回は、楽譜を見ながら検討する時間を多めに取ろうと決めました。

「響き」のことを考えると、弾きながら考えることは、もちろんたくさんあります。

ただ、今の私にとっては、今までよりも「考える」部分を増やしていくことがプラスに働くのではないか、と思っています。

特にバロックのものですから、様式感というのも大切です。

どうやったらそれが表現できるのか。

 

いろいろ聞きながら、楽譜を見ながら、試行錯誤しつつ学んでいます。

2018.04.27

シャコンヌいろいろ

こんにちは。

水曜日、雨上がりの午後、思い立って「東松山ぼたん園」に行ってきました。

予想通り、今年は花の咲くのが早くて、今咲いているクリーム色の花が一番最後に咲く品種とのこと。

ボリュームのある華やかな花を堪能してきました。

 

さて、昨日からのシャコンヌつながり。

起源は分からないものの、最初の記録はペルーの出来事を記述した詩の中に舞曲として取り上げられているそうです。

最初はスペイン、そしてイタリアで流行します。

この頃は、歌を伴う快活な舞曲。

モンテヴェルディの歌曲にもあります。

「西風が戻り」という声楽作品を聞いてみました。

 

これがフランスに渡り、17世紀中頃から独自のフランス風シャコンヌの形式が成立したとのこと。

器楽独奏用のものが多く作曲されたり、バレ(バレエ)の音楽としても用いられました。

 

ドイツでは、イタリアのチャッコーナをまねた初期のものから、次第のオルガン音楽の分野で独自の発展を遂げたそうです。

器楽アンサンブルのためのシャコンヌでは、フランス風の形式のものとオルガン作品でドイツ独自に発達したものとが融合し、バッハの「シャコンヌ」はその終曲点にある作品、とのことでした。

 

バッハの「シャコンヌ」があまりにも有名なので、ついついそれを中心に考えていましたが、さかのぼってみるといろいろな色合いがありました。

ドイツ出身のヘンデルのシャコンヌ。

やはり同時代のバッハのシャコンヌとどこか似た雰囲気も感じられます。

それを現代のピアノでどう弾いていくのか?

これはこれでまたとても楽しみです。

2018.04.26

ヘンデルのシャコンヌ

こんにちは。

昨日の雨から一転、良いお天気になりましたが、風が強いですね。

今朝は久々に富士山が見えました。

やはり、春になると富士山は見えにくくなりますので、何だか「お久しぶり!」という感じでした。

 

今日は、私自身の曲について。

ずーっとずーっとモーツァルトでしたが、そろそろ他の作曲家の曲も…という気持ちでした。

次の曲、先生も考えていろいろおっしゃってくださいました。

ヘンデル、バッハ、ドビュッシー、フォーレ、ベルク。

1曲に決めて、レッスン帰りに楽譜を買って帰ろうと思っていたのですが、先生の「これ、全部楽譜を持っていて良い曲ばかりだから、全部用意するといいですよ。」の言葉に、帰りがけ、ヤマハに寄って全部買いました!

ベルクなんて、音楽史で勉強して、その後、いったいこの音程でオペラってどうなっているんだろう?とヴォツェックのCDを買って1回聞いただけ。

まさか、自分が弾くかもしれないという意識で、楽譜を買う日が来ようとは考えてもいませんでした。

先生曰く「ミュシャ等の19世紀末の絵を彷彿とさせる曲。ポリフォニックな感じが素晴らしいですよ。」とおっしゃった通り、魅力的な曲でした。

うーん、これも弾きたい!

 

楽譜を見ながらあれこれ聞いて、(今はYouTubeで何でも聞けてしまいますから、本当にありがたいですね。)次はヘンデルのシャコンヌに決めました。

バッハの無伴奏バイオリンパルティータのシャコンヌは、超有名曲で、ブゾーニやブラームスのピアノ編曲版もすばらしく、いつかは弾きたい曲なのですが、ヘンデルにもあるんですね。

これも、とても美しい、魅力的な曲です。

まずは、曲の構成をよく見ていこうと思います。

21の変奏曲がありますから、テンポの設定も含めて全体をどうしていこうかという設計図をしっかり考えていくところから始めていきます。

モーツァルトの「デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲」で学んだことを、生かしていきます。

2018.04.24

親指の使い方

こんにちは。

昨日は御茶ノ水にレッスンに行ってきました。

帰りに寄った神田明神、本殿わきの木々の緑もすっかり濃くなっていました。

 

デユポールを含め、2年半以上モーツァルトに絞ってレッスンを受けてきました。

一区切りついたので、少し違うものにもチャレンジしてみたいと思い始めていたところです。

ですから、今回はモーツァルトのソナタも区切りになるように、かなり練習していきました。

 

ところが、先生のピアノで弾くと、何か安定しない。

今回はかなり練習して大丈夫なはずだったのに、なぜか音が抜けるところが出てきてしまいます。

あれ、どうしてだろう?

 

「親指が寝ているからです。」

先生の指摘は明快でした。

自分では立てているつもりだった、そして寝かせる癖はほぼ出なくなったと思っていた、親指の使い方。

残念ながらまた出てしまいました。

 

一般的な奏法と大きく違う手の使い方、その特徴の一つが親指の使い方にあります。

親指は物をつかむために、他の4本の指とは違う向きに動くようになっています。

今の奏法はその動きを生かすような、合理的な使い方をしています。

でも、その使い方がイメージできるようになるまで、私はとても時間がかかりました。

その後、頭では理解できたと思い、最近はだいぶよくなっていたのですが、やはり音型によって以前の習慣が出てしまうということが分かりました。

先生の弾いてくださる手の動きをよくよく観察してきました。

 

 

モーツァルトはとりあえず一区切りですが、また新しい曲で、手の動きや響きの混ぜ方など、さらに学びを深め、レッスンに生かしていきますね。