学び

2018.07.12

ピアノを弾くことは楽しい

こんにちは。

ピアノは楽しいです。

今、また何度目かの新しい「楽しさ」を味わっています。

身体の使い方を変えると、響きや音色が変わっていく。

自分自身で工夫しながら、そしてレッスンで確認していただきながら、楽しんでいます。

 

昭和の時代に私が受けたピアノのレッスンは、日本の当時のレッスンがほぼそうであったように、「正しい」とされるものがあったように思います。

これは私だけが感じているのではなく、私と同世代のピアノの先生方が、ブログやメルマガなどで書いているので、同じだったのだとわかります。

また、さらに前の世代、私の大学時代の恩師(芸大を卒業)も同じことをおっしゃっていました。

先生のお手本が「正しい」

解釈も、「私の言うように弾きなさい」が一般的。

 

恩師の場合、ロシア系アメリカ人のレイ・レフ先生がおっしゃっていた、という話の中で私にも「フォルテと書いてあるからフォルテを弾くのではありません。本当にフォルテを弾きたい時にフォルテにするのです。」と教えてくれました。

「自分で考える」

「自分の感覚・感性を信じる」

 

ポゴレリチの録画を見て、そのことも思い出されました。

ポゴレリチの演奏は賛否両論あります。

テンポ設定のこと、また強弱についてのこと。

でも、彼の演奏を聞いていると、「自分はこう弾きたい」という意志を強く感じます。

磨き抜かれた一音一音でそれを表現しています。

 

言葉にならない部分だからこそ、ピアノという楽器を通して表現出来る楽しさがあります。

それは、小さいお子さんでも同じこと。

ぜひ、表現出来る楽しさを味わってほしいと思っています。

2018.07.10

意識は肩甲骨から指先へ

んにちは。

昨日は、御茶ノ水のレッスン日。

先日から考えつつ練習していたことの方向性が合っているかどうか、実際にできているかどうかを見ていただきました。

同時に、今まで「手」を中心に見ていた先生の弾き方を、改めて一歩引いた状態で見て復習したいと思い、レッスンの様子も、録音ではなく、動画を撮らせていただくようにしました。

椅子の高さ、位置についてもアドバイスをいただいてきました。

 

まず、椅子の高さですが、先生のお宅の椅子の場合、私には低いということで、結局、ソファにあったタオルを使って、さらに高くしました。

ポゴレリチにしても、ソコロフにしても、とにかく身体が大きいですよね。

私とは弾いている時の肘と鍵盤の関係が全く違います。

先生も男性としてそれほど背の高い方ではありませんが、それでも、私よりは15㎝は大きいでしょう。

ですから、鍵盤に対して肘がかなり上にある状態、力がのる状態で弾いていらっしゃいます。

 

私の考えていたことの方向性は合っていました。

ピアノと自分の身体との間の空間の取り方。

それから、意識としては「指先に意識があって、腕、肩へというのが一般的ですか、僕の場合は逆です。肩胛骨に意識があって、それを指先まで伝える感覚で弾いています。」とのこと。

 

ポゴレリチの動画をきっかけに、今まで教えていただいていた断片がようやく一つの像を結んできました。

もちろん、一つ一つの断片だけでも音の響きは変わってきました。

何よりも耳そのものが響きを「聞き取れる」方向になってきたので、それを求めて工夫する年月ではありました。

ただ、ここのところで自分の身体の使い方のイメージについて、今まで無意識で行っていた部分が意識化されつつある実感があります。

昨日は、一つ一つの音の質、2音のつながりの場合の弾き方のイメージ、細かく細かく身体の使い方も含めてレッスンしていただきました。

また新しい段階に入り、響きをますます磨いていきたいと思いつつ、帰ってきました。

2018.07.09

知っていることと実際に行うこと

こんにちは。

ポゴレリチの録画を見てから、いかに背中から肩・ひじ・手首・指まで力をうまく伝えていくか考えながら練習しています。

 

一つ気付いたのは、腹筋。

背中を使うためには、お腹で支える必要があります。

以前から「お腹を押さえる感じで使う」ということを言われていたのですが、ようやく「こんな感じなのかな?」と意識できるようになってきました。

特に背の小さい私の場合、「上から」弾くわけにはいきません。

その分、鍵盤との距離を離さないと、大きく腕を動かすことが難しい。

必然的に、今までよりもさらに椅子を後ろに下げてみました。

そうすると腹筋で押さえないと身体がとても不安定になってしまいます。

 

もう一つは、小指で弾く時に親指を上げるためには、ひじから先がかなり自由でないとできない、ということ。

今まで、私がどうも親指でバランスを取るのが難しいと感じてそのためのようです。

椅子を下げ、肩から指先・つまり鍵盤までの距離を広げたところ、その部分の自由度はあがりました。

結果として親指でバランスをとりつつ小指で音を出す、ということがしやすくなりました。

 

自分としては音が変わった感じがあるので、レッスンでみてもらおうと思っています。

ピアノを弾くというのは、ついつい見える範囲であるひじから先に意識が行きがち。

でも、身体全体、そのすべてがつながりあっているので、全体を調整していくことで弾きやすさ、音も変わっていく。

今までも「知って」いましたが、実際に「わかって」いく、「行って」いくというのはまた別なことだと実感したここ数日でした。

2018.07.08

ポゴレリチin奈良を見て

こんにちは。

西日本の大雨、千葉の地震と気になるニュースが続きます。

被害が少しでも少ないことを祈っています。

 

先日のNHK、Eテレで放送されたポゴレリチの奈良での演奏を収録した番組。

http://www4.nhk.or.jp/ongakukan/

録画してもらったのを見せてもらったのですが(うちにはテレビがないので)すばらしかった!

 

私が学生の頃、「若手ピアニスト」で活躍中、というイメージだったのですが、当然のことながら、年齢を重ねています。

音楽にも深みが出て、ノクターンなど、本当に美しいと思いました。

さらに、私にとって興味深かったのは、姿勢と手の使い方。

まず、とても高い位置でピアノに向かっています。

背中から腕、ひじ、手首までの使い方が非常に上手です。

 

そして、手の内側の筋肉、指の筋肉の使い方。

虫様筋を使って弾いています。

さらに手首の回転。

小指を使うとき、てのひらが見えるほど。

カメラがこれらを近い距離でとらえてくれているので、イメージがとてもつかみやすく、私としてはとてもありがたく思いました。

 

「小指を使うときには、親指でバランスをとる。親指が上に上がる。」

これは私が現在の先生に言われていることですが難しいのですね。

先生も実際に何度も弾いて見せてくださるのですが、なかなかうまく出来ずにいました。

今回、ポゴレリチを見ていて、無駄な力が全く入っていないことに気付きました。

私は、うかつにも先生が弾いているのを見るときに、「手」中心に見ていたのです。

ポゴレリチの弾き方を見るときには、カメラの枠に合わせて見ますから、全体を見ることができました。

私の場合だと、手首周辺にまだ余分な力が入っているのかもしれません。

 

そして、身体の小さい私の場合、ピアノの椅子を最大に上げても、ポゴレリチの高さでピアノに向かうことはできません。

ためしに、子どもさんのレッスン用に使っているコルクマットを、椅子の下に入れて弾いてみたところ、やはり響きが変わります。

とはいえ、まさかステージでクッションを使うわけにもいきませんし、ここは、バランス、軸の取り方を自分なりに考えていく必要があると気付きました。

ピアノとの距離をもう少しあけると良いのかもしれません。

これは、小柄なロシアピアニズムの女性ピアニストの動画をもう一度探して、軸の取り方、ひじの角度、手首の角度をしっかり見てみようと思いました。

 

また、今日7月8日に後半が放送されるようなので、とても楽しみです。

 

2018.07.02

ピアノの仲間との一時

こんにちは。

昨日は、大切なピアノ仲間とのオフ会(勉強会)。

ずっと主催してくださる方がいて、気付くと20回になっていました。

 

一人20分の持ち時間があります。

過去には、ほとんど全員がモーツァルトを弾いた回もありましたが、昨日はそれほどでもなく、いろいろでした。

ショパン・モーツァルト・ラフマニノフ・シューベルト…。ピアソラもありました。

私も、ヘンデルのシャコンヌとフォーレのノクター2番を弾きました。

こうやってみてみると、バロックから20世紀まで幅広い作曲家の曲が並んでいますね。

 

演奏のほうはというと、シャコンヌは、だいぶ形になってきていましたが、フォーレは人前で弾く状態としてはまだ練習不足。

仲間内なので、それは良しと言うことであえての挑戦。

人がたくさんいる中で弾くと、響きが変わってきます。

シャコンヌはそれを意識しつつ、きちんと聞く余裕がありました。

 

フォーレは、前回のレッスンで指導していただいた、親指の使い方がまだ不十分。

速い部分では特に指だけで弾いてしまいます。

これは、ゆっくりした練習をくり返すしかないのですが、今回は「止まらずに最後まで弾く」ほうに時間をかけていたので、ある意味、仕方がありません。

ただ、その分、当然のことながら、響きが思うように上がりませんでした。

これは、この後、また音を聞きながらくり返しくり返し練習していくつもりです。

 

いろいろ聞いていると、モーツァルトも良いな、と改めて思いました。

あのシンプルな中にある美しさは、格別です。

あと、シューベルトのAdagioホ長調d.612。

私は今まで知らなかったのですが、これも本当に美しい曲です。

シューベルトの曲も美しいたくさんあって、また弾きたいですね。

 

帰り際、駅まで何人かと話しながら歩きました。

ラフマニノフを弾いた方が、「ショパンの音ではなくて、もっと深い音といわれたんだけど、難しい。」と話していました。

確かに、ラフマニノフは深めの音。

でも、深くを狙いすぎると響きが上がらなくなってしまうので、そこが難しいところです。

「ここは支えて、指先は『ちくわ』といわれたんだけどね。」と笑っていました。

確かに、私も「ちくわ」は言われたことがあります。

指先の力を抜くイメージです。

 

途中の休憩では、持ち寄ったお菓子も楽しみつつ、とても充実した良い時間を過ごすことができ、幸せな日曜の午後でした。

2018.06.28

触れるだけで音が出る

こんにちは。

写真は、川島町にある平成の森公園の古代蓮の花です。

ここもとても良い場所です。もうしばらくは、花が楽しめそうです。

 

先日のレッスンの時、師匠のピアノを弾いた時、

「なんて反応の良いピアノだろう。」と、ようやくそれを気持ち良く感じることができました。

 

今までも反応の良さはよく分かっていました。

スタインウェイのフルコン。

触るだけで音が出ます。

最初の頃は触るだけで音が出るピアノ、ということが信じられませんでした。

でも、実際に軽く触れるだけで音が出ます。

 

ただ、あまりにも反応が良すぎて、コントロールが難しい、という印象のほうをより強く感じていました。

例えば、ちょっとの違いでいきなり大きな音がでてしまう。

少し深いところを弾くと音が詰まってしまう。

そのたびに、「こう弾きたくないのに…」という思いだったのです。

今回、フォーレのノクターンを弾いたとき、こうしたいと感じたタッチ、ねらった深さと、出て来た音がぴったりと合っていたのです。

そのニュアンスは、私のピアノよりもはるかに繊細で、うれしくなりました。

 

一つは、手の内側の筋肉がしっかりついてきて、細かいコントロールが可能になったこと。

もう一つは、私のピアノの調整がよくて、かなり繊細な弾き分けができるようになっていること。

この2つが原因だと思っています。

 

手の筋トレもずいぶんやりました。

地道にやっていると、確かに違います。

見ていると、師匠も暇があると必ず指を動かしています。

師匠のところでレッスンをしている先生方も、話しながら指を動かしているそうです。

これも終わりがないことなのですね。

 

私のピアノの調整、

ずいぶん長い時間をかけて、細かい部分を磨いて、動きやすくしていただいています。

おかげで、今回の感覚がつかめるようになりました。

 

良い状態に調整されたピアノ。

それを最大限生かすための手、指の状態、使い方。

その結果出てくる、様々な響き

そしてその響きをコントロールして音楽を作っていくこと。

この奏法ならではの楽しさがあります。

2018.06.26

修正は小刻みに

こんにちは。

昨日は、御茶ノ水にレッスンに行ってきました。

写真は神田明神。6月30日が大祓えなのだそうで、こんな大きな輪が作られています。

東上線からの乗り継ぎの都合で、10分位前に着くので、レッスン前には神田明神に行くことが多いのです。

 

だいたい月に2回、2週間ごと、というのが通常ペースなのですが、発表会の曲をヘンデルのシャコンヌにするか、フォーレのノクターン2番にするかで迷っていたので、今回は2週連続で行きました。

9月の発表会では、フォーレのノクターンを弾くことに決めました。

シャコンヌは、自分なりの道筋がある程度見えています。

完成したら、こんな感じ、というのもイメージがはっきりしています。

ノクターンのほうが、課題がたくさんあって、2ヶ月をかけて仕上げていくとしたら、今の自分にとって学ぶものが多いと考えたからです。

 

昨日も、練習の段階で自分がなかなか出来なかった部分について、疑問点を伺うことができました。

取り出して弾いて、その方向で良いかどうかを確認していただきました。

自分で「やっている」つもりでも、出来ているかどうか、録音だけでは把握できないことがあります。

特に響きについては、機械で全部とらえて再現できるか、というとそれはどんなすばらしい機械でも無理な話ですし、まして私の手持ちの機器では期待できません。

ですから、きちんと聞いて、フィードバックしていただけるレッスンの場というのは、本当に貴重なものとなります。

 

同時に、自分では気付かないで「やってしまっている」こともフィードバックしていただきました。

今回、かなり高音部まで左手を使って弾く音型が何度も出て来ます。

その音型の時の親指の使い方を指摘していただきました。

本来親指の付け根から使っていくべきところ。

指だけで弾いていたのです。

 

その後、すぐに低音に戻らなければなりません。

その焦りがあって、きちんと手全体を使えていませんでした。

「固まらなければ、十分にもどれます。」と師匠に言われ、知らず知らずのうちに、急いで戻らなければ、という意識で手に力が入り、固まっていたことに気付きました。

 

定期的にレッスンで見ていただくことで、少しのずれが生じた段階で修正することができます。

これが、あまりにもレッスンの間隔があいてしまうと、修正するのにもまた時間がかかってしまいます。

来週が、大切なピアノの仲間達とのオフ会(勉強会)です。

昨日うかがったことをふまえて、人に聴いていただける状態になるように、また練習していきましょう。

2018.06.24

フォーレのノクターンの美しさ

こんにちは。

今、フォーレのノクターン2番を練習中です。

この曲もとてもとても美しい。

フォーレは今まで演奏したことのない作曲家。

フランスの作曲家の曲は、ドビュッシーを少し弾いたくらいで、今まであまり弾いてこなかったのです。

なじみがないだけに、自分なりにどんな音色をどこで使ったらよいのか、いろいろ考えているところです。

 

フォーレの室内楽曲はいくつか耳にしたことがあり、とても美しいと思っていました。

いざ楽譜を見て練習し始めると、横の流れと縦の線、その両方をいかに自然に弾くか、意外に難しいと感じました。

先日のレッスンの時にも、

「ここで、この旋律はこうやって跳躍しているでしょう。そして、内声はこの部分で切ない感じ。両方をどんな音色で、どう弾いていくか、だよね。」

「テンポの枠、拍子の枠の中に納めようとしなくていいですから。」などなど課題をたくさんいただきました。

また、曲との距離感について、「ロマン派のように自分を歌い上げる、というのとも違うと思う。」というお話も。

これも、分かるような気がします。

「絵を描くような感じ、かもしれない。」

 

私自身は、このノクターン2番の中に、水・川のイメージを感じます。

きらきら光る水滴。

時に上流のせせらぎのような部分があり、時に下流のゆったりした流れの中を船に乗っているような部分があり、あるいは、激しい流れがあり。

 

最初は、9月の発表会はヘンデルのシャコンヌを弾く予定だったのですが、こちらにしても良いかもしれない、と今、再検討中。

また試行錯誤しながら自分なりの表現を探していきます。

本当に、奥が深いですね。

「私」にしか表現できないもの。

それを少しでも豊かにしていく。

そんな時間が持てるということ、そのものがとても幸せだと感じています。

スタッカートは「跳ねない」

こんにちは。

今日はスタッカートについて。

私が、今の師匠のところに行って、「今まで知らなかった!」ということの一つがスタッカートについてです。

スタッカートは「音を切る」のですが、つい「跳ねて」いたのですね。

でも、それだと細かい音符のスタッカートの時、とうてい間に合いません。

すごく力が入って、頑張って弾いていました。

すると「スタッカートは音が切れればいいから、そんなに頑張って跳ねる必要はないのです。」とのこと。

 

音のイメージのせいでしょうか。

歯切れがよくなります。

はずんだ感じになりますよね。

だから手をはずませていたのかもしれません。

 

同じことを、イタリア人指揮者について学んでいらっしゃったコレペティトールの方のメルマガで読みました。

「あ、同じだ。」と思ったので、とてもよく覚えています。

「鍵盤、熱いですか?やけどしますか?」とからかわれた、とのことでした。

私の師匠もヨーロッパでの生活が長い方。

もしかしたら、ヨーロッパでは当たり前の感覚が、日本の、私たちにまではなかなか伝わっていないのかもしれません。

 

このことを思い出したのは、幼稚園年長の生徒さんが初めてスタッカートが出てくる曲になったから。

3つ先の曲なのですが、いつもだいたい3曲ずつ弾いてくるので、楽譜をめくって見たのでしょう。

「先生、スタッカートって何?」

ということで気になって仕方がない様子でした。

そこで説明をして、一緒に練習してみると、手を上にはねあげます。

「指だけで」は逆に難しいようです。

でも、ここは最初が肝心。

「指の力を抜いて、音を切る」練習をしました。

何回かやるうちに、こつがつかめてきたようです。

これを覚えておけば、速い部分でのスタッカートも楽にひけます。

 

音の出し方、奏法そのものもそうですが、それ以外にも「頑張って」「力で」弾く部分がこれまでたくさんありました。

でも、実はより合理的な弾き方がたくさんあります。

大人になってからではありますが、それを学べたことに本当に感謝です。

そして、それをレッスンでお子さんに伝えていきたい思っています。

2018.06.19

重めの音色を作っていく

こんにちは。

昨日は大阪で大きな地震がありました。

震度6弱とのこと。

皆さまのご無事を心からお祈り申し上げます。

 

昨日は、レッスンの日。

ヘンデルのシャコンヌと、フォーレのノクターンの両方を聞いていただきました。

 

シャコンヌは、ここ数日、自分でも音色について考えたり、いろいろな演奏を聞き比べたりしていました。

ヘンデルの作曲した当時は、もちろんまだピアノはありません。

チェンバロで演奏したものがいくつも見つかったので、それも聞き比べていました。

チェンバロだと、上鍵盤と下鍵盤を使ったり、ストップ等楽器そのものの仕組みを使ったりして、音色を変えることができます。

カール・リヒターの演奏など、それを駆使しているのがわかります。

 

今回のレッスンまでに、音色を中心に考えてようと決めていたので、ここはこういう音を出したい等自分なりに弾き方を考えて持っていきました。

最初の長調の部分が終わり、中間の短調の部分にさしかかったとき。

ここは、重めの音がほしい。

そして、短調最初の変奏は弱音から始めたい。

上から下におろして、力の抜き方をこうして…と練習した部分です。

 

「方向は良いと思います。ただ、僕ならこうしてもっと重い音を出します。」

と先生が手の使い方を見せてくれました。

動きが複雑です。

上から下に鍵盤に指を載せるのですが、そこから先の力の入れ方、抜き方が今弾いている弾き方とは違っています。

 

まねてみました。

音質はいいかもしれませんが、音量が大きすぎます。

うーん。

ああでもない、こうでもない、とかなりの試行錯誤の末、ようやく弱音でかつ前よりも重めの音が出せるようになりました。

でもちょっと気を抜くと音量が大きくなってしまいます。

音量に気を取られると音が軽くなってしまいます。

 

指の使い方は、指先だけの問題ではありません。

指の付け根、手のひらの内側、手首、ひじ、肩、背中を意識していきます。

同時に自分の求めている音の質、大きさ。

それらに気を配っていきます。

でも、だからこそ、響きを変化させることができます。

音のイメージを自分で作り、それを表現していくことができます。

その楽しさを味わうことのできたレッスンでした。