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2019.07.02

「そこに存在するだけ」の音

昨日は自分のレッスンに行ってきました。音色の変化、違いというものについて、大きく学ぶものがありました。

バッハのフランス組曲4番。最初のアルマンド。練習で弾きながら「ここはこういうイメージを作りたい」と 音色について自分なりに考えて、レッスンに持っていきました。

そこに存在するだけの音

実際に先生のピアノで弾いてみると、家で練習したのとはまた違う感覚があります。

ピアノの響き方が違います。フルコンで、年数もある程度経っていて、本当によく鳴りますし、繊細なタッチにすべて応えてくれる楽器です。

だいぶ工夫していったつもりですし、後半の高音で始まる部分は、静かに静かに響かせたい、そして最後の部分は厚みのある温かい音、チェロの低音のような響きがほしいと思っていました。

私が1回弾き終わると、先生が「後半、こんな感じだとどうだろう?」と弾いてくださいました。

その響きを聴いた時、「静謐」という言葉が頭に浮かびました。静かで穏やかで本当に美しい。

「高音を弾いた時に、指を動かすと、響きが上がるけれど少し広がっていきます。これはほんとうに置くだけ。結果として、『そこに存在するだけ』の音が出ます。これは、弾く人も聴く人も非常に緊張感が必要になる音です。」

もう一度弾いてくださいました。「今、1段目は置くだけ、2段目はほんの少し動かしています。」

手首の力が抜けると響きが変わる

後半の2段。私の音は何だか薄い感じがしました。「もっと温かくて厚みのある音にしたいのですが、何だか薄くて。」と伺うと、「もう少し腕の重みを乗せてみたら?」ということでやってみました。

音は大きくはなりましたが、なにか違います。「もう少し回転させてみたら?」ということで、あれこれやっていたのですが、回転を意識しているうちに、ふと手首が固まっていることに気づきました。

ポジションを上げること、腕の付け根からひじまでの下側の筋肉を意識することに目が向いていたため、手首が固まっていました。

気がついて、手首の力を抜くと、響きそのものが大きく変わりました。

自由で豊かな表現を目指す

自分でイメージを作る時に、自分の持っている範囲で色をつけようとします。先生の音を聴くと、「もっとこんな色もある」「もっとこういう色合いもある」ということを毎回感じます。

ちょうど、12色の色鉛筆と500色もある色鉛筆の違い、さらに、色鉛筆よりももっと繊細にグラデーションがつけられる水彩画との違いです。

一昨日のガヴリロフの演奏もそうでしたが、1つ1つの音、そのものの幅をどれだけイメージでき、実際に演奏で表すことができるか。

そこにかかってくると、改めて思いました。自分でももっと自由な、もっと豊かな表現ができるようになりたい。

今週はそれを課題にしていきます。