2017.09.27
ピアノの楽しさとは
こんにちは。たうらピアノ教室の田浦雅子です。
今日は、巾着田に行ってきました。今年は秋が来るのが早くて、残念ながら曼珠沙華は見頃を過ぎていましたが、それでも、ところどころにまだつややかな赤い花が残っていました。
さて、大変ありがたいことに、ここのところ、お問い合わせをいただくことが増えてきました。新しく始めたいとお考えの小さいお子さん、大人の方、そしてある程度今までに学んできた方。それぞれの皆さんの思いをしっかり受け止めていきたいと思っています。
そこで、あらためてピアノの楽しさは何かな、と自分自身の子供時代からのことを振り返りつつ、考えてみました。
一つは、新しい曲が弾けるようになる楽しさです。
まだ小さい子供だった時代には、これはとても大きく感じていたように思います。一つ弾けるようになって、○をもらって、また次を弾けるようになって……。実際にどんどん指も動くようになっていきますし、とても楽しかったと思います。今振り返ると、何だかあまり考えずに弾いていた気もします。
二つ目は作曲者と直接対話し、本当に美しいものに触れることのできる楽しさです。
バッハを弾けば、300年の年月を超えてバッハを感じることができます。モーツァルトを弾けば直接モーツァルトを感じることができます。ちょっとした音の並び方の中に美しさを発見したとき、幸せを感じることができます。もちろん、耳で聞いてもその美しさは感じられますが、自分の手を通して直接対話し、それを表現できることの喜び、幸せは、格別です。
三つ目は自分自身の個性を表現する楽しさです。
これは、二つ目の楽しさをふまえての楽しさだと思います。弾く人が、その曲をどうとらえ、どう感じているか。それは、弾く人の個性の表れです。私自身も、ピアノを弾くときには、伝えたい思いがあります。「思い」と書きましたが、言葉として表現できるものではありません。たぶん、もっと深いところにある、ある意味、混沌としたもののような気がします。
学生時代に学んだ恩師が「フォルテと書いてあるからフォルテを弾くのではないの。自分の気持ちが本当にフォルテで表現したいと思わなかったら、強く弾く必要はない。これは、私の先生が言っていたことでもあるけどね。」と言っていました。機械的に強くとか弱くとかいうのではなく、表現したい思いが先にあってこそのものだということでしょう。
四つ目は聴いてくれる方とつながれる楽しさです。
これは、最近になって感じることが増えてきました。奏法を変えて、音の響きを意識するとその先に、聴いてくださる方がいらっしゃる。ふと、演奏を通して、つながっていると感じるようになってきました。弾く、というより、音を届けるという感覚に近いかもしれません。
まだまだありますが、書いてみて、ピアノを弾くことができる私はとても幸せだとあらためて思った今日でした。